クラダーリングの秘密

- Another Story of Claddagh Ring

このページでは、旧ボウディッカが2018年3月17日、東京・代々木公園イベントスペースで開催された「アイラブアイルランド」文化テントに出店したおり、カルチャーステージで店主萬崎がお話ししたトーク原稿を収録しています。内容はやや難解なアイルランド中世の歴史に踏み込み、ロマンチックな幻想を掻き消してしまう記述かもしれませんが、「ケルティックジュエリー&クラダーリング専門店 ボウディッカ」を2019年10月末をもって閉じるにあたり、一般公開させていただきます。(© Megumi Manzaki)

クラダーリングについて一通りの知識を優しく解説した文章は、「クラダーリングの伝説」のページでお読みいただけます。


皆様こんにちは。
「クラダーリングの秘密」と題してお話しする 萬崎めぐみです。

 私は、ケルティックジュエリーやクラダーリングをアイルランドから輸入し、主にネット通販でお届けする、「ボウディッカ」という店を、1998年にスタートし、今月ちょうど20周年となります(後註:2018年3月現在)
 クラダーリングにつきましては、5000点を超える数を、この20年間に、日本で販売させていただきました。
 アイルランド西部のゴールウェイという町で、1750年から営業を続けている老舗「トーマス・ディロンズ」の「オリジナル・クラダーリング」も、扱っています。
 「卸売りをしないはずのトーマス・ディロンから、どうやって仕入れているんだ?」
という商売上の秘密は、ここではお話しできません。
 そのかわり、「アイルランドで最も伝統的な指輪」と言われるクラダーリングは、いったい誰が最初に作ったのか、その秘密をお話ししたいと思います。

 今日ここにおいでの皆様は、すでにご存知の方もおられるでしょうが、「クラダーリング」というのは、たとえば「ギネス」のように、特定の会社が持つ商品名や、ブランド名ではありません。
 こちらの画面にあるような、王冠と、ハートと、それを抱える手、というモチーフでデザインされた指輪のことで、アイルランドでは複数のジュエリーメーカーが、数百年もの昔から自由に作り続けてきました。
 ハートは愛、2つの手は友情、王冠は忠義や誠実さを象徴する、と説明されています。
 「Let Love and Friendship Reign. 愛と友情に支配させよ」というモットーを表す、とも言われ、古くから結婚指輪や、親しい人どうしが互いに贈り合う記念の指輪として交換される習わしでした。

 皆様がアイルランドに行かれ、ゴールウェイで、トーマス・ディロンの店を訪れると、英語の印刷物を1枚くれると思いますが、それは、このような書き出しで始まります。
「クラダーリングは、ゴールウェイ湾岸の漁村クラダーに、その起源があると思われる。」
画面は、1651年のゴールウェイ市だそうですが、ぐるりと城壁に囲まれています。クラダーという村は、城壁の外、コリブ川を渡ってこの辺りの海岸沿いになります。

 「なぜクラダーリングと呼ばれるかというと、これを考案したリチャード・ジョイスという人物が、クラダー出身だったからだ」と、私も、30年ほど前、初めてアイルランドに行く前に、ガイドブックで読んだ記憶があります。今も、ウィキペディアの「クラダーリング」の項目には、「リチャード・ジョイスの伝説」が採用されています。
 リチャード・ジョイスは、1660年頃の生まれ。西インド諸島に向けて、ゴールウェイの港から船旅に出ましたが、船は海賊に襲われ、15歳のジョイスは、奴隷として、アルジェリアの裕福な金細工師に売られました。そこで14年間、金細工の技術を仕込まれます。1689年、オレンジ公ウィリアムが英国王に即位し、アルジェリアに対し、捕虜や奴隷となっている全ての臣民を解放し、帰還させるよう要求。ジョイスはアルジェリア人の主人に「娘と結婚させ、家業を継がせよう」と引き留められますが、彼はそれを蹴って、ゴールウェイに帰って来て、自分の金細工工房を構え、一つの指輪を作り上げ、感謝と忠誠のしるしとして、英国王ウィリアム3世に献上した…。

 …というのが、クラダーリングの起源に関する、最も有名な「リチャード・ジョイスの伝説」ですが、これには幾つかの疑わしい点がある、と、指摘されてきました。
 このリチャード・ジョイスと同じ時期に、ゴールウェイにはもう一人、トーマス・ミードという金細工師がいて、同じデザインの指輪を作っていた。それどころか、ジョイスが生まれるより早く、1648年頃には、もう一人、別のリチャード・ジョイスという人物や、ドミニク・マーティン、バーソロミュー・ファロンといった金細工師が、ゴールウェイで既に同じデザインの指輪を作っていた、とも言われています。

 トーマス・ディロンズの店でくれるパンフレットには、リチャード・ジョイスより1世紀ほど遡った16世紀の、もう一つの伝説が紹介されています。それは「マーガレット・ジョイスの伝説」です。
 どちらも「ジョイス」という姓ですが、「トライブス・オヴ・ゴールウェイ」といって、昔ゴールウェイは、特権的な自治を英国王から認められていて、14の商人の家系が市長の職と市議会を独占し、町を支配していた。ジョイス家はその14の有力家系の一つなのです。
 ジョイス家の娘、マーガレットは、川で出会った男と結婚するだろう、と予言されて育ちました。ゴールウェイは、大西洋に向かって開かれたコリブ川の河口に位置する港町で、海外貿易の拠点として、フランスやスペインの船が寄港し、16世紀には、多くの外国人が出入りしていました。ある日、マーガレットは、ドミンゴ・デ・ローナというスペイン人豪商に見そめられます。結婚してスペインに渡りましたが、年の離れた夫はやがて死に、若くして莫大な遺産を相続したマーガレットは、ゴールウェイに戻って来ると、アイルランド西部に多くの橋を架け、地方の福祉に貢献しました。
 彼女は、1596年、時のゴールウェイ市長オリヴァー・フレンチと再婚しましたが、そこで不思議な出来事が起こりました。屋外で座っていたマーガレットの膝に、上空を飛んでいたワシが、一つの黄金の指輪を落として行きました。彼女の徳を称える天からの褒美だと言われています。

 16世紀のマーガレット・ジョイス、17世紀のリチャード・ジョイス…。どちらの伝説にも、じつは、「クラダーリング」という言葉は、本来出てきません。
 ハートと、王冠と、2つの手をあしらったデザインの指輪は、遅くも1700年頃には、ゴールウェイの複数の金細工師たちによって盛んに作られ、周辺の地域に、そしてアイルランドを出てイングランドにまでも広まっていた、というのは確かですが、「クラダーリング」という言葉は、1830年代まで見当たらないのだそうです。
 リチャード・ジョイスにしても、もし本当に「ジョイス」という姓だったら、「クラダー村の出身」というのは、あり得ないのではないでしょうか。ジョイスは、ゴールウェイを支配したアングロ・ノルマン系の、有力な商人の家柄の一つだからです。

 ゴールウェイ、アラン島、コネマラ、といった、観光地としても名高い地域を含むアイルランド西部のエリアは、コナハトといって、ゲール人の王が治める地域で、住民は、アイルランド土着の言語、ゲール語を話していました。コナハト王ターロウ・オコナーが1124年、ゲール語で「ガリヴ」と呼ばれる川の河口に築いた小さな砦が、英語読みの「ゴールウェイ」の起源ですが、実際には、この地方一帯に勢力を持つオフラハティ一族が支配しました。
 それから約1世紀後の1232年、ノルマン侵略軍の一人、リチャード・デ・バークに占領され、さらに1300年頃までには、石造りの城壁が建造されました。
 初期に入植したノルマン系貴族の多くがそうであったように、バーク家も土着化して、周辺のゲール人と同化していきましたが、14世紀の終わり頃になると、ゴールウェイに後から入って来たアングロ・ノルマン系の商人たちが、英語やフランス語で話す自分たちの習慣や文化を守ろうとして、半分ゲール人化したバーク家の支配に逆らい始めました。そして1484年、英国王リチャード3世によって、ゴールウェイの有力な商人、14家に、自治と、市長を置く特権が与えられます。その頃の城壁内の人口は3000人ぐらいだった、とのことです。

 ゴールウェイの城壁の西門には、「凶暴なオフラハティ一族から、神よ、我らを守りたまえ」と書かれた看板が掲げられていた、というほど、中世のゴールウェイ市民は、周囲の土着のゲール系住民との接触を嫌がっていた様子です。

 城壁の外、コリブ川を渡ってすぐ隣りの漁村「クラダー」も、住民は、英語ではなくゲール語を話す村でした。村の伝統として、代々の「王」が選ばれ、王の帆掛け船は真っ白な帆を掲げていたという、独特の風習を持っていました。

 

 ゴールウェイ市民にとっては、取るに足らなかった、この小さな村「クラダー」の名を知らしめたのが、1830年代に英国で相次いで出版された「アイルランド紹介本」でした。英国では完了しかけていた産業革命も、アイルランドには及ばず、経済格差がますます広がる中で、アイルランドの、そのまた辺境の漁村のたたずまいと、ゲール語で話す素朴な人々の習俗が、英国人旅行記者のノスタルジーと、異国情緒趣味を掻き立てたのでしょう。
 ゴールウェイの指輪に「ゴールウェイ・リング」ではなく、「クラダーリング」という名がついたのも、辺境の風物に、よりロマンチックな色付けをして紹介したい、と考えた、そんないきさつかもしれません。
 そして、ヴィクトリア女王の時代に、クラダーリングは、ゴールウェイと、アイルランドの一部の地域から、英国に、そして移民とともにアメリカへと広まっていきます。

 こんにち、ゴールウェイに、市民をまわりの世界から隔てようとする壁はありません。ケルトの文様と融合された、新しいデザインのクラダーリングも生まれ、そして、世界中で作られるようになりました。
 「愛と友情に支配させよ。」クラダーリングが象徴するこのメッセージは、私たちがいつも思い出さなければならない、普遍的なメッセージだと思います。

 2018年3月17日 萬崎めぐみ
Copyright © Megumi Manzaki.