クラダーリングの伝説

- Story of Claddagh Rings


ゴールウェイの老舗 Thomas Dillon's The Original Claddagh Ring

クラダーリング(クラダリング)は、アイルランド西部の港町ゴールウェイから世に広まったと言われ、アイルランドで最も伝統的な指輪です。"Let Love and Friendship Reign."(愛と友情に支配させよ。)がそのモットーで、友愛のしるしとして交換されたり、古くは結婚指輪として伝えられてきました。
ハートは愛、王冠は誠実、両手は友情を象徴すると言われますが、このユニークな指輪の最初の考案者は誰だったのか、今では謎のヴェールに覆われています。

アイルランドでは昔も今も、クラダーリングこそ、母から娘へと代々受け継がれる家宝で、多くの場合はゴールドですが、若い男女の指をカジュアルに飾るシルバーも、今は人気です。デザインは時代によって少しずつ変化しますが、王冠を戴くハートと、それを両側から抱える手、という基本形は数百年間変りません。


    クラダーリングはどの指にはめるべきものなのですか?
    --クラダーリングの歴史とフォークロア--


    どの指にはめるべきという決まりはありません。

    王冠を戴いたハートとそれを両側から支える手--という独特なデザインのクラダーリング。"Let Love and Friendship Reign."(愛と友情に支配させよ。)がそのモットーで、アイルランドでは、古くから結婚指輪として伝えられてきた他、友情のあかしとして、男性どうしの間でも交換されたりしたようです。ハートは愛(Love)、王冠は誠実(Loyalty)、両手は友情(Friendship)を象徴すると言われますが、このユニークな指輪の最初の考案者は誰だったのか、今では謎のヴェールに覆われています。

    アイルランド西部の港町ゴールウェイに隣接したクラダーという小さな漁村出身のリチャード・ジョイスという男が、海賊に拉致され奴隷として売られた先のアルジェリアで金細工の技術を仕込まれ、後に解放されて舞い戻ったゴールウェイで金細工師として開業、1690年頃にこの指輪を作り上げて英国王ウィリアム3世に献上したのが始まりだと、今では一般に伝えられていますが、ゴールウェイの町にはその100年以上前から、クラダーリングにまつわる幾つかの伝説があり、そのほとんどが既婚女性の貞淑ぶりや良妻賢母ぶりを称える話として伝わっています。

    昔のクラダー村
    (Sean McMahon, The Story of the Claddagh Ring より)
    クラダーリングにまつわる最も有名な伝説の女性は、マーガレット・ジョイスでしょう。ゴールウェイ地方の古い家柄ジョイス一族の娘マーガレットは、川で出会った男と結婚するという予言に自分の運命を委ね、ゴールウェイに来ていたスペイン人豪商ドミンゴ・デ・ローナと結婚してスペインに渡りました。年の離れた夫はやがて死に、若くして相続した遺産とともにアイルランドに戻ってきたマーガレットは、その財産を使ってアイルランド西部に多くの橋を架け、地方の福祉に貢献しました。1596年、ゴールウェイ市長オリヴァー・フレンチと再婚したマーガレットの身に、その不思議な出来事は起こりました。屋外で座っていた彼女の膝に、彼女の徳を称える天からの褒美として、上空を飛んでいたワシがひとつの黄金のクラダーリングを落としていったのです・・・。この伝説が生まれた16世紀末には既に、クラダーリングはゴールウェイの地方でよく知られていたわけです。(参考文献:Sean McMahon, The Story of the Claddagh Ring, Cork 1997)

    母から最初に嫁に行く娘へと代々受け継がれる嫁入り道具のようなものとして、ゴールウェイを中心とするアイルランド西部に中世以来伝わる---というのが、クラダーリングの本来の姿。娘の家がもし裕福だったら、結婚前に娘の指に合わせて新しいクラダーリングを誂えることもあったでしょうが、多くの場合は古い言い習わしに従って、母が使っていたクラダーリングを娘に譲って持たせたことでしょう。そうすると、たとえば母が左手薬指にはめていた指輪が、娘の左手薬指にもちょうど良くはまるとは限らないわけです。ですからクラダーリングは左手薬指にはめなければならないという決まり事はなく、具合い良くはまる指ならどの指でも良しとされていたのでしょう。

    収集された古いクラダーリング
    (Sean McMahon, The Story of the Claddagh Ring より)
    契約社会だった古代ローマでは、男性は黄金または鉄製の印章付きの大きな指輪を、左手薬指にはめる習慣でした。帝政期になると、妻に家庭を任せるという契約のしるしに、自分の印章指輪を婚約指輪として将来の結婚相手の少女に与えるようになったと言われます。(婚約指輪が結婚指輪よりも先にあったのです。)左手薬指というのは、元来は男性についての決まり事でした。ローマ帝国の拡大につれてケルト人やゲルマン人の諸部族でも、男の家族が嫁取りの際に娘の家族に贈る家畜などの資産の中に、指輪が含まれるようになりました。やがて9世紀にはキリスト教会によって指輪が結婚の証拠とみなされるようになり、13世紀には男女が結婚指輪を交換する習慣も一般化していたそうです。中世の結婚指輪のデザインは、王冠を戴いたハート、または2つのハートが寄り添った上に1つの王冠を被せたもの、2つの手が握り合ったデザインなど、クラダーリングにも通じるデザインの指輪が、英国やドイツ等アイルランド以外の地域からも多く出ています。(参考文献:浜本隆志『指輪の文化史』白水社1999年)

    近年クラダーリングのフォークロアとして有名なのは、俗っぽい言い方になってしまいますが、「恋人募集中」のつけ方。右手の指(どの指でもよい)に外に向けて(ハートの下端が指先を向くように)はめると、恋人募集中のアピール。右手の指(どの指でもよい)に内に向けて(ハートの下端が手の甲の方を向くように)はめると、恋人ができたしるし。そして婚約したらそれを左手の指(どの指でもよい)につけ替え、結婚後も左手の指(どの指でもよい)にはめ続ける---というものです。日本の雑誌やテレビの旅番組等で度々紹介されるので、日本人の方がアイルランド人自身よりもよく知っていたりします。

    旧ボウディッカの萬崎が1998年、クラダーリングの直輸入を始めた当初からの経験をお話しすると、通販のご注文ではお客様にはサイズを申し付けていただくだけで、どの指にはめるのかまでは尋ねませんが、ショールームやイベント販売などでお客様がクラダーリングを試着されるのを拝見すると、やっぱり左手薬指にはめてみられる方が多いです。でも薬指でなければならないという決まり事はないのですから、もし薬指に合うサイズが見つからない場合にも、クラダーリングを諦めることはありません。

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旧ボウディッカがゴールウェイの老舗 Thomas Dillon'sと取引開始した1999年当時はまだ、
華奢で素朴な、こんなクラダーリングもあったのです。(現在は販売されていません。)
(萬崎個人所有)



【ホールマーク】

アイルランドの法律では、金・銀・プラチナのすべての指輪やジュエリーは、ダブリン・アッセイオフィス(アイルランド)、または英国ロンドン、シェフィールド、エディンバラのいずれかのアッセイオフィスで貴金属の品位テストを受け、「9金」「18金」「シルバー925」「プラチナ950」…などの表示に偽りがないことを確認する伝統的なホールマーク(認証刻印)が刻印された指輪やジュエリーのみ、アイルランドで販売することができると定められています。貴金属の品位テストに合格しなかった指輪やジュエリーは、アッセイオフィスが打ち壊してメーカーに送り返してしまいます。旧ボウディッカがアイルランドから輸入したクラダーリングは、アッセイオフィスのホールマーク(認証刻印)が、リングひとつひとつの裏面に刻印されています。


旧ボウディッカ開業当初からのロング&ベストセラー、ダブリンの宝飾メーカーによる現代のクラダーリング。


2015年、伝統を踏襲しつつ、より優美になってゆくクラダーリング。



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